このブログを書き始めたとき、私の心には「自分の人生を一度整理しておきたい」という、切実な、けれど静かな願いがありました。

2300日に及ぶVAD(補助人工心臓)生活、そして心臓移植。 文字にしてしまえば数行の出来事ですが、その裏側には、言葉では到底尽くせない「痛み」と「絶望」、そしてそれを遥かに凌駕するほどの「人の温もり」がありました。

「病気になったから、不幸になったのか」 かつて、病室の窓から夜空を見上げては、何度も自分に問いかけた言葉です。しかし、今の私は自信を持ってこう答えることができます。 「病気になったからこそ、私は本当の幸福を知ることができた」と。

自分を支え続けてくれた妻の、凛とした後ろ姿。 「俺たちがいるから大丈夫だ」と笑ってくれた仲間の、力強い手の感触。 そして、名もなき誰かが繋いでくれた、この温かい鼓動。

それらは、健やかで何不自由ない生活を送っていたら、当たり前すぎて見落としていたかもしれない宝物です。嵐が過ぎ去ったあとの今、私の手元に残っているのは、そんなかけがえのない絆だけでした。

これから私は、一人の「無職の50代」として、穏やかな余生を歩んでいきます。 特別な功績を残すわけでもなく、派手な成功を収めるわけでもありません。ただ、頂いた命を大切に使い切り、一歩一歩を丁寧に楽しむ。それが、私を救ってくれたすべての方々への、私なりの「誠実な生き方」だと思っています。

最後になりますが、この拙い記録に最後までお付き合いいただいた皆様に、心より感謝申し上げます。 もし今、あなたが暗闇の中にいたとしても、いつか必ず朝は来ます。その朝に吸い込む空気は、きっと驚くほど甘く、清々しいはずです。

私の物語はここで筆を置きますが、私の歩みは、これからも続いていきます。 またどこかの散歩道で、風を感じながらお会いしましょう。

本当に、ありがとうございました。

By wwbnq181

50代。25年間、地元の企業で働き抜きました。 私の人生の後半戦は、想像を絶する病との戦いでもありました。 原因不明の難病「巨細胞性心筋炎」の発症。 不整脈を抑えるCRT-Dの植込み。 そして、心臓移植を待機する6年半(2300日)、補助人工心臓(VAD)と共に生きる日々。 その間、脳梗塞や小腸穿孔といった合併症にも襲われ、何度も命の瀬戸際を歩きました。 しかし、そこには常に私を支えてくれた妻と息子の存在があり、 私のために緊急時講習を受けてまで居場所を守ってくれた9人の同僚たちがいました。 心臓移植という奇跡に恵まれ、今、私の胸には新しい鼓動が刻まれています。 「頂いた命と共に、二人分の人生を最高にしたい」 そんな想いから、25年勤めた会社を卒業し、第2の人生を歩み始めました。 趣味は、一人の足音を感じながら歩く二時間の散歩。 このブログでは、闘病の記録、家族への想い、そして何気ない日常の尊さを綴ります。 私の経験が、今を懸命に生きる誰かの力になれば幸いです。

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