【心臓移植への原点】平穏な日常は、ある日突然終わりを告げる。1歳の息子を遺して死ねない——救急車の中で交錯する絶望と家族への想い。何度も繰り返される意識消失の中で見つけた、生きることへの執着。当たり前だと思っていた毎日が「奇跡」だと気づかされた、37歳の壮絶な実体験記。【心臓移植への原点】平穏な日常は、ある日突然終わりを告げる。1歳の息子を遺して死ねない——救急車の中で交錯する絶望と家族への想い。何度も繰り返される意識消失の中で見つけた、生きることへの執着。当たり前だと思っていた毎日が「奇跡」だと気づかされた、37歳の壮絶な実体験記。

あれは37歳のときのことです。
2月14日、バレンタインデーでした。

いつものように仕事を終え、家族と一緒に夕飯を食べました。
俺の好きな豚の角煮。
バレンタインということもあり、チョコレートケーキも並んでいました。

食べ終えたあと、1歳の息子とお風呂に入りました。
無事に入り終え、リビングで漫画『刃牙』を読んでくつろいでいました。

すると、なんだか体が熱くなり、冷や汗が出てきました。

「なんか変だな…」

そう思った次の瞬間でした。


真っ黒な雲に包まれた

急に、目の前が真っ黒な雲に覆われるようになりました。
そのまま前のめりに倒れました。

ギャーギャーと泣く息子の声。
「パパ!パパー!」

遠くから、自分を呼ぶ声が聞こえてきました。

どれくらい倒れていたのか分かりません。
目を開けると、床に倒れていました。

妻の話では、1分ほど意識を失っていたそうです。

倒れた場所は、トミカの「ビュンビュンドライブ」。
頭から突っ込んだ状態で、額には傷を負っていました。


繰り返す失神

ソファーに座って休んでいると、また体が熱くなり、嫌な感覚がしました。

「また来る…」

気が遠くなり、再び目の前が真っ暗に。

これを何度も繰り返しました。

遠くから救急車のサイレンが聞こえてきました。


「大したことはない」と言われた夜

地元の総合病院へ運ばれ、救急外来のベッドで横になっていると、先生が来ました。

「血圧も安定しています。
特に変わったところはありません。
一度、専門の病院で心臓を診てもらったほうがいいですね。
今日は念のため一泊しましょう。」

思っていたより軽い診断でした。

正直、ホッとしました。


病室で起きた本当の異変

ベッドのまま病室へ運ばれ、心電図モニターをつけ、一泊の準備をしていました。

そのとき、またあの嫌な感覚が来ました。

俺は看護師さんに必死に伝えました。

「来る、来る、来る!」

次に目を覚ましたのは、ナースステーション横の処置室でした。

先生が二人、心電図モニターを見ながら立っていました。

「今、ブロック出たね…」

怪訝な表情でモニターを見つめていました。

その間も何度も意識が遠のきました。

「〇〇さん!〇〇さん!」

と呼ばれながら、時にはそのまま失神し、
DC(電気ショック)をかけられました。

それを何度も何度も繰り返しました。


初めて死を意識した瞬間

そのとき、初めて思いました。

「俺、死ぬんだ…」

もう苦しい。
人生、よく頑張ったな。
生きるのも辛かったし、もういいかな。
死んだら保険も下りるし…。

そんな考えまで浮かびました。

でも同時に、

残された家族。
愛する妻。
息子の成長を見たい。

その思いが胸を締めつけました。

そのとき、俺は叫びました。

「死にたくねえ!!」


そして転院へ

その後、隣町の循環器内科のある大きな病院へ移送されることになりました。

移送が決まると、妻が電話をしてくれ、
母親、兄弟、同僚たちが駆けつけてくれました。

「頑張れよ」

その言葉が、心から嬉しかったのを覚えています。

救急車で隣町の病院へ運ばれ、
そこで本格的な治療が始まりました。

ここから、
私の長い闘病生活が始まったのです。


おわりに

あの日、
豚の角煮を食べ、
息子と風呂に入り、
漫画を読んでいた普通の夜。

その夜が、
人生を大きく変える日になるとは思いもしませんでした。

この体験は、
今も私の中で生き続けています。

命は当たり前じゃない。
生きていることは、奇跡なんだと。


 

By wwbnq181

50代。25年間、地元の企業で働き抜きました。 私の人生の後半戦は、想像を絶する病との戦いでもありました。 原因不明の難病「巨細胞性心筋炎」の発症。 不整脈を抑えるCRT-Dの植込み。 そして、心臓移植を待機する6年半(2300日)、補助人工心臓(VAD)と共に生きる日々。 その間、脳梗塞や小腸穿孔といった合併症にも襲われ、何度も命の瀬戸際を歩きました。 しかし、そこには常に私を支えてくれた妻と息子の存在があり、 私のために緊急時講習を受けてまで居場所を守ってくれた9人の同僚たちがいました。 心臓移植という奇跡に恵まれ、今、私の胸には新しい鼓動が刻まれています。 「頂いた命と共に、二人分の人生を最高にしたい」 そんな想いから、25年勤めた会社を卒業し、第2の人生を歩み始めました。 趣味は、一人の足音を感じながら歩く二時間の散歩。 このブログでは、闘病の記録、家族への想い、そして何気ない日常の尊さを綴ります。 私の経験が、今を懸命に生きる誰かの力になれば幸いです。

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