これからが、本当の地獄でした。
夢と現実の間で、おかしなことばかりが、せん妄という形で私の目の前に現れました。

今思えば、恥ずかしいことばかり言っていたと思います。
先生に怒ったり、妻にとても失礼なことを言ってしまったり。

でも、その時の私にとっては、すべてが「現実」でした。

ありもしない架空の現実を、自分の中で作り出してしまうのです。

部屋の模様が請求書に見える。
誰かが部屋を覗いている気がする。
誰かに監視されていると思い込む。

とにかく、存在しない世界を、自分自身で作り出してしまっていました。

生きているのか、死んでいるのかも分からないまま、
私は毎日、自分が作り出した世界の中で生きていました。


不思議と「楽しかった」記憶

不思議なことに、今振り返ると、
その時間は「楽しかった思い出」でもあります。

自分で作った世界を、自分で生きていたのですから。

怖さもありましたが、
現実から切り離された別の世界にいるような感覚でもありました。

ただし、ずっと幻覚の中にいるわけではありません。
時々、はっと現実に戻る瞬間がありました。


目が覚めた瞬間

しばらくすると、先生が言いました。

「〇〇さん、足をあげてみてください」
「右足をあげてみてください」

意識が戻ったかどうかの確認でした。

私は足を動かしました。

「俺はやったんだ。やってのけたんだ。」

そう思えて、嬉しくなりました。

でも、自分の右手を見た時、愕然としました。
枯れ木のように細くなっていたのです。

その瞬間、
自分がどれだけ長い時間、眠っていたのかを実感しました。


妻から聞いた“本当の現実”

あとから妻に聞いた話です。

眠り始めた頃は、心電図のアラームがひっきりなしに鳴っていたこと。
CRT-Dのバッテリーを守るため、何度も手動で電気ショックをかけたこと。

私が眠ったのは3月15日。
そして、4月1日、ぴたりと不整脈が止まったこと。

眠っている間、大学病院の先生たちが、
心臓移植を想定して診てくれていたこと。

もし、あと1日遅れていたら、転院になっていたこと。

すべてが、ぎりぎりのタイミングだったこと。

本当に、運が良かった。
奇跡のような時間でした。


「生きててくれてありがとう」

そして、妻が言いました。

「生きててくれてありがとう」

その言葉を聞いた時、
私は初めて、自分が本当に生き延びたのだと実感しました。

せん妄の世界でさまよっていた私を、
現実に引き戻してくれた一言でした。

By wwbnq181

50代。25年間、地元の企業で働き抜きました。 私の人生の後半戦は、想像を絶する病との戦いでもありました。 原因不明の難病「巨細胞性心筋炎」の発症。 不整脈を抑えるCRT-Dの植込み。 そして、心臓移植を待機する6年半(2300日)、補助人工心臓(VAD)と共に生きる日々。 その間、脳梗塞や小腸穿孔といった合併症にも襲われ、何度も命の瀬戸際を歩きました。 しかし、そこには常に私を支えてくれた妻と息子の存在があり、 私のために緊急時講習を受けてまで居場所を守ってくれた9人の同僚たちがいました。 心臓移植という奇跡に恵まれ、今、私の胸には新しい鼓動が刻まれています。 「頂いた命と共に、二人分の人生を最高にしたい」 そんな想いから、25年勤めた会社を卒業し、第2の人生を歩み始めました。 趣味は、一人の足音を感じながら歩く二時間の散歩。 このブログでは、闘病の記録、家族への想い、そして何気ない日常の尊さを綴ります。 私の経験が、今を懸命に生きる誰かの力になれば幸いです。

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