こんにちは。50代、心臓移植を経験した一人の男の物語を始めようと思います。 先日、私は25年間勤め上げた地元の会社を退職しました。50代という年齢、そして息子が18歳で大学進学を控えた時期。世間一般で見れば「無謀」と思われるかもしれないこの決断には、私なりの深い理由がありました。

闘病と仕事の両立。走り続けた25年間

地元の企業に就職して四半世紀。私の社会人生活の後半は、常に病との隣り合わせでした。 「巨細胞性心筋炎」という原因不明の難病から始まり、CRT-D(除細動器)の植え込み、そして6年半に及ぶVAD(補助人工心臓)生活。入退院を繰り返し、脳梗塞や小腸穿孔という合併症にも見舞われました。

それでも私が仕事を辞めなかったのは、父として、夫として、家族を支える責任があったからです。そして何より、会社という場所が、私を「病人」ではなく「社会の一員」でいさせてくれたからです。

誰にも見送られず、一人で選んだ「卒業」

退職の日、私はあえて盛大な見送りや挨拶の時間を避けました。誰にも邪魔されず、静かに、一人で会社を後にしたかったのです。 25年前、希望を持ってくぐった門を最後に出た時、心にあったのは寂しさよりも「やり切った」という静かな安堵感でした。

病気という大きな壁を乗り越え、息子の大学合格を見届けた今、私はようやく「自分のための人生」を歩み出す準備ができたのだと感じています。

50代からの「第2の人生」を綴る

このブログでは、心臓移植やVAD生活という過酷な経験を経て、今私が何を思い、どう生きているのかを発信していきます。 同じように大病と戦っている方、人生の転機に悩んでいる方にとって、何かのヒントになれば幸いです。

一歩一歩、自分の足で踏みしめる「散歩」のような第2の人生。その記録を、ここから始めていきます。

By wwbnq181

50代。25年間、地元の企業で働き抜きました。 私の人生の後半戦は、想像を絶する病との戦いでもありました。 原因不明の難病「巨細胞性心筋炎」の発症。 不整脈を抑えるCRT-Dの植込み。 そして、心臓移植を待機する6年半(2300日)、補助人工心臓(VAD)と共に生きる日々。 その間、脳梗塞や小腸穿孔といった合併症にも襲われ、何度も命の瀬戸際を歩きました。 しかし、そこには常に私を支えてくれた妻と息子の存在があり、 私のために緊急時講習を受けてまで居場所を守ってくれた9人の同僚たちがいました。 心臓移植という奇跡に恵まれ、今、私の胸には新しい鼓動が刻まれています。 「頂いた命と共に、二人分の人生を最高にしたい」 そんな想いから、25年勤めた会社を卒業し、第2の人生を歩み始めました。 趣味は、一人の足音を感じながら歩く二時間の散歩。 このブログでは、闘病の記録、家族への想い、そして何気ない日常の尊さを綴ります。 私の経験が、今を懸命に生きる誰かの力になれば幸いです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA