私が25年間、地元の中小企業で働き続けることができたのは、決して私一人の力ではありません。そこには、私の想像を超える周囲の支えがありました。

9人の同僚が受けてくれた「緊急時講習」

VAD(補助人工心臓)を装着して出社する。それは会社にとっても、私にとっても大きな挑戦でした。もし職場で私が倒れたら、誰がどう対処すればいいのか。 そんな不安を払拭してくれたのは、同じ職場の仲間たちでした。なんと9名もの同僚が、VADの緊急事態への対処法を学ぶ講習を自発的に受けてくれたのです。

「もしもの時は俺たちがやるから、安心して仕事に来い」 その言葉に、どれほど救われたかわかりません。彼らの献身的な理解があったからこそ、私は社会から孤立せず、退職の日まで胸を張って働くことができました。

病気を抱えた17年、会社がくれた「誇り」

巨細胞性心筋炎という難病を患い、心臓移植を待つ身であった私を、会社は最後まで「一人の社員」として扱い続けてくれました。家族が大きくなるまでお給料を出し続けてくれた会社には、感謝の言葉しか見当たりません。

25年間の後半は、病気との戦いでした。しかし、その戦場を共に歩んでくれた9人の仲間と、居場所を奪わなかった会社があったからこそ、私の25年は輝かしいものとして幕を閉じることができたのです。

By wwbnq181

50代。25年間、地元の企業で働き抜きました。 私の人生の後半戦は、想像を絶する病との戦いでもありました。 原因不明の難病「巨細胞性心筋炎」の発症。 不整脈を抑えるCRT-Dの植込み。 そして、心臓移植を待機する6年半(2300日)、補助人工心臓(VAD)と共に生きる日々。 その間、脳梗塞や小腸穿孔といった合併症にも襲われ、何度も命の瀬戸際を歩きました。 しかし、そこには常に私を支えてくれた妻と息子の存在があり、 私のために緊急時講習を受けてまで居場所を守ってくれた9人の同僚たちがいました。 心臓移植という奇跡に恵まれ、今、私の胸には新しい鼓動が刻まれています。 「頂いた命と共に、二人分の人生を最高にしたい」 そんな想いから、25年勤めた会社を卒業し、第2の人生を歩み始めました。 趣味は、一人の足音を感じながら歩く二時間の散歩。 このブログでは、闘病の記録、家族への想い、そして何気ない日常の尊さを綴ります。 私の経験が、今を懸命に生きる誰かの力になれば幸いです。

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