50代で会社を辞めた私の人生において、もう一つ大きな節目がありました。それは、18歳になった息子が大学進学を決めたことです。

合格の報せを聞いたとき、私は安堵とともに、彼らしい選択だなと感じました。彼の選んだ道は、派手なものではなく、自分の得意を活かした着実な一歩。その姿を見て、私はふと、自分が病気と向き合ってきた歳月を思い出していました。

「強い父」ではなく「生き抜く父」の姿

息子が多感な時期、私は心臓移植を待ちながらVAD(補助人工心臓)と共に生活していました。入退院を繰り返し、時には脳梗塞で倒れる。そんな父親の姿を見せることは、親として情けないと思うこともありました。

しかし、息子はそんな私の姿を見て、何かを感じ取ってくれていたようです。彼が選んだ進路には、無理に背伸びをせず、等身大の自分を信じて進もうとする「芯の強さ」が見えました。立派な背中を見せることはできなかったかもしれませんが、「諦めずに生き抜く姿」だけは、彼に伝えられたのかもしれません。

家族の形が変わる時

息子が大学へ進み、私は会社を卒業する。これからは、守るべき対象から、互いに自立した一人の男としての関係に変わっていくのでしょう。

彼には、私のように病気に悩まされることなく、自分の信じた道を最高に楽しんで歩んでほしい。50代の父から、18歳の息子へ。言葉には出しませんが、心からエールを送っています。


 

By wwbnq181

50代。25年間、地元の企業で働き抜きました。 私の人生の後半戦は、想像を絶する病との戦いでもありました。 原因不明の難病「巨細胞性心筋炎」の発症。 不整脈を抑えるCRT-Dの植込み。 そして、心臓移植を待機する6年半(2300日)、補助人工心臓(VAD)と共に生きる日々。 その間、脳梗塞や小腸穿孔といった合併症にも襲われ、何度も命の瀬戸際を歩きました。 しかし、そこには常に私を支えてくれた妻と息子の存在があり、 私のために緊急時講習を受けてまで居場所を守ってくれた9人の同僚たちがいました。 心臓移植という奇跡に恵まれ、今、私の胸には新しい鼓動が刻まれています。 「頂いた命と共に、二人分の人生を最高にしたい」 そんな想いから、25年勤めた会社を卒業し、第2の人生を歩み始めました。 趣味は、一人の足音を感じながら歩く二時間の散歩。 このブログでは、闘病の記録、家族への想い、そして何気ない日常の尊さを綴ります。 私の経験が、今を懸命に生きる誰かの力になれば幸いです。

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