静かな戦い: 奥様が過ごした2畳の小部屋と、幹線道路を見つめた窓辺。家族の「待ち続けた時間」を視覚化します。回復の象徴: 震える手で書き始めた日記を入れ、本人の生命力と再生を表現します。

CRT-Dの電池がわずか1ヶ月で尽きるほどの激闘。死の淵をさまよった私が、少しずつ「人間」を取り戻していくまでの、奇跡のような日々を振り返ります。

【せん妄のパレード】

意識が混濁する中、私の頭の中には賑やかな登場人物たちが現れました。サッカーが得意なカルロ、ハワイの医師ユナ、中国の王族……。今思えば、それは過酷な現実から脳が守ってくれた、不思議で楽しい逃避行だったのかもしれません。

【「生きている」を実感した瞬間】

  • 角質の舞い: 4ヶ月間履き続けた医療用ストッキングを脱いだ時、ブワッと舞い上がった足の角質。それは、長く動けなかった時間の重みであり、新しい皮膚が生まれようとする「生命の証」でした。
  • 震える手の日記: 最初は一文字も書けなかったノート。毎日、毎日、一所懸命にペンを走らせ、徐々に言葉を紡げるようになっていく過程は、私にとって最高のリハビリでした。

【家族もまた、戦っていた】

一般病棟へ移り、妻から見せてもらったICU横の「2畳の小部屋」。

「パパが寝ている時、ここにいたんだよ」 その狭い空間で、妻がどんな思いで夜を明かしたのか。眠れない夜、5階のロビーから幹線道路を眺めていた彼女の孤独な背中を思い、胸が熱くなりました。

妻、兄、義父が移植病院まで足を運んでくれていたこと。皆が、私の命を繋ぐために必死に戦ってくれていたのです。

【4ヶ月目の出所】

小さな不整脈は消えないけれど、6月中旬、私はついに病院の門を出ました。4ヶ月という時間は、私の人生を根底から変え、同時に「独りで生きているのではない」という確信を刻み込んでくれました。

By wwbnq181

50代。25年間、地元の企業で働き抜きました。 私の人生の後半戦は、想像を絶する病との戦いでもありました。 原因不明の難病「巨細胞性心筋炎」の発症。 不整脈を抑えるCRT-Dの植込み。 そして、心臓移植を待機する6年半(2300日)、補助人工心臓(VAD)と共に生きる日々。 その間、脳梗塞や小腸穿孔といった合併症にも襲われ、何度も命の瀬戸際を歩きました。 しかし、そこには常に私を支えてくれた妻と息子の存在があり、 私のために緊急時講習を受けてまで居場所を守ってくれた9人の同僚たちがいました。 心臓移植という奇跡に恵まれ、今、私の胸には新しい鼓動が刻まれています。 「頂いた命と共に、二人分の人生を最高にしたい」 そんな想いから、25年勤めた会社を卒業し、第2の人生を歩み始めました。 趣味は、一人の足音を感じながら歩く二時間の散歩。 このブログでは、闘病の記録、家族への想い、そして何気ない日常の尊さを綴ります。 私の経験が、今を懸命に生きる誰かの力になれば幸いです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA