〜あの厳しい耳鼻科が教えてくれた「我慢の原点」〜
小学2年生の初夏、私はとある町の耳鼻科に足を踏み入れました。
地元では「あそこだけは行きたくない」と囁かれる、
伝説のかかりつけ医のもとへ。
50年近く経ったいまも、あの日の記憶は五感ごと残っています。
そして、あの体験が私に「我慢することの意味」を初めて教えてくれたのです。
■ 地元で一番怖いと噂の耳鼻科
駅の脇道を左に曲がると、いつも長い行列ができている一角があります。
20人以上が静かに並ぶその場所が、地元でも「超怖い」と有名な耳鼻科でした。
そこに並ぶ人たちの表情は一様に緊張しています。当然です。
ヒソヒソ声でも立ちどころに「そこ、うるさい! 静かにしないなら出ていけ!」
と怒鳴られるのですから。
小学2年生の私には、それだけで膝が震えるほどの恐怖でした。
■ いよいよ私の番——先生の顔と手
列の中腹を過ぎると、赤茶色の氷嚢のような器具で鼻を吸引されます。
ポンプ式の強烈な吸引力。嫌な感触でしたが、もっと恐ろしいのはその先でした。
先生の顔は、当時の私には仮面ライダーの死神博士のように見えました。
しわが深く刻まれ、ひび割れた手。
でも、その目の奥には静かな優しさが宿っていたように思います。
「どうしたの?」——たったその一言で、母が症状を説明し始めました。
■ 「来週、手術しよう」——あっけない宣告
先生は喉を診るや否や、「扁桃腺がすごく腫れてるね。
いつも大変だから取っちゃおうか。来週手術」と、
まるで天気予報を告げるように言いました。
あの頃は今と違い、インフォームドコンセントも書類も最小限。
それでも先生なりに万全の状態で臨んでいたのだと、
大人になってから気づきます。
■ 手術の日——麻酔、そしてチョキン
手術当日も、いつも通りの長い行列から始まりました。
まず味のしない水飴のような麻酔薬を喉に塗られ、続いて4〜5本の注射。
やがて喉の感覚が完全に消えていきました。
あの「感覚がない感覚」は、50年経ったいまでも体に刻まれています。
次に登場したのは、フォーク2本を向かい合わせたような器具。
「チョキン」——一回。「チョキン」——もう一回。
それで手術は終わりました。
「終わりだよ。よく頑張った!」
その一言が、どれだけ嬉しかったか。
自分の足で2階へ上がり、
待っていた母に「よく頑張ったね」と抱きとめてもらいました。
■ 先生の最後の言葉——我慢の原点
帰り際、先生が2階まで上がってきてこう言いました。
「よく頑張った。涙は溜めてもよく泣かずに耐えたな。偉かったぞ!」
泣き叫ぶ子には即座に「うるさい!」
と怒鳴る先生に、褒めてもらえた——。
その瞬間、小学2年生の私は初めて「俺、強いんだ」と感じました。
誰かに我慢を強いられるのでなく、
自分の中から「耐えてみよう」と思えた、最初の記憶です。
■ あの体験が今日に教えてくれること
現代は、痛みや不快感をできるだけ取り除く方向に進化しています。
それは素晴らしいことです。でも同時に、
「少しの不便や恐怖を乗り越える力」を育む機会が減っているとも言えます。
あの耳鼻科が私に残してくれたもの、それは三つです。
① 「怖くても、終わりは必ず来る」という確信
② 「我慢したあとに来る達成感」の甘さ
③ 「厳しい人の目の奥にも、優しさがある」という気づき
あなたにも、そんな「原点の記憶」はありませんか。
怖かったのに乗り越えられた日、泣かずに耐えた瞬間
——それはきっと、今のあなたの強さの土台になっているはずです。


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