私の人生を語る上で、欠かせない存在がいます。それは、23年間連れ添ってきた妻のことです。私たちが知り合ったのは、私が31歳の時。当時勤めていた会社の事務員として働いていたのが、彼女でした。

いわゆる「職場結婚」だった私たちが、その後の人生で「心臓移植」や「脳梗塞」というあまりに過酷な試練に直面するとは、あの頃は想像もしていませんでした。

「日常」を奪われた日々と、変わらない妻の存在

巨細胞性心筋炎の発症から、6年半にわたるVAD(補助人工心臓)生活。私は何度も入退院を繰り返し、一時は自力で歩くことすらままならない日々を過ごしました。

小腸穿孔の激痛に耐えた夜も、脳梗塞の後遺症に怯えた日々も、妻は常に私のそばにいてくれました。看病、家事、そしてまだ幼かった息子の育児。そのすべてを一人で背負いながら、彼女は一度も私に弱音を吐きませんでした。私が25年間、会社員として勤め上げることができたのは、間違いなく彼女が私の「心の支え」であり続けてくれたからです。

感謝を言葉にする代わりに

「夫が心臓移植を待機している」という状況は、家族にとっても計り知れないストレスと不安があったはずです。妻がいなければ、私は今こうしてブログを書くことも、一人の散歩を楽しむこともできなかったでしょう。

50代で退職し、ようやく手に入れた穏やかな時間。これまでは「支えてもらうばかり」でしたが、これからは少しずつ、彼女に恩返しをしていきたいと思っています。

病気は多くのものを奪っていきましたが、同時に「家族の絆」という何物にも代えがたい宝物を教えてくれました。

同じように家族を支える方へ

大病を患う本人も辛いですが、それを支えるパートナーの心労は、時に本人以上かもしれません。私の経験を通じて、支える側の尊さ、そして感謝を伝えることの大切さを届けていければと思います。

By wwbnq181

50代。25年間、地元の企業で働き抜きました。 私の人生の後半戦は、想像を絶する病との戦いでもありました。 原因不明の難病「巨細胞性心筋炎」の発症。 不整脈を抑えるCRT-Dの植込み。 そして、心臓移植を待機する6年半(2300日)、補助人工心臓(VAD)と共に生きる日々。 その間、脳梗塞や小腸穿孔といった合併症にも襲われ、何度も命の瀬戸際を歩きました。 しかし、そこには常に私を支えてくれた妻と息子の存在があり、 私のために緊急時講習を受けてまで居場所を守ってくれた9人の同僚たちがいました。 心臓移植という奇跡に恵まれ、今、私の胸には新しい鼓動が刻まれています。 「頂いた命と共に、二人分の人生を最高にしたい」 そんな想いから、25年勤めた会社を卒業し、第2の人生を歩み始めました。 趣味は、一人の足音を感じながら歩く二時間の散歩。 このブログでは、闘病の記録、家族への想い、そして何気ない日常の尊さを綴ります。 私の経験が、今を懸命に生きる誰かの力になれば幸いです。

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