「生存率50%の宣告を、仲間と先人の知恵で乗り越えた。EF12%の絶望から職場復帰を果たすまでの全記録」

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「4ヶ月ぶりのシャバの空気」

あれは、初夏の風のとおる気持ちのいい日だった。

退院が決まり、一般病棟で兄が迎えに
来てくれるのを待っていた。

薬をもらい外来予約も決まり、
バーコードがついた手首のバンドを
ハサミで切ってもらい、退院となった。

4ヶ月ぶりの外だった。車に乗り込んだ、

「窓、全開にしてもいいか?」


兄に言い、窓を全開にして外の
空気をいっぱいに吸い込んで帰った。

「気持ちいい!」シートにもたれ込み、
あの夜、倒れてから4ヶ月を思い返してみた。

生きて病院を出ることができた。

不整脈に怯えた夜、
せん妄の地獄の末、
絶望した日、
みるみる回復していったリハビリ期、

それらを乗り越え、生きている。
それだけでサイコーだった。

家に着き、まずやろうと決めていたことがあった。
それは『巨細胞性心筋炎』について調べることだった。

PCを開き検索窓に文字を打ち込んだ。
最初に目に飛び込んできたのは、

『1年以内の再発率50%』
『非常に予後が悪い』
『致死率が高い』愕然とした・・・。

当時の情報はまだ多くなかった、
その中、情報を拾い集め必死に良い情報を探した。
どのサイトを見ても同じことが書いてある。

その時の心臓の状態は自分の巨細胞が
心筋細胞を攻撃し、約半分の心筋が巨細胞によって侵されていた。

EFは12%(左室駆出率、ポンプ機能が通常の5分の1)、
普通の人は55%〜70%と言われ、
その1/5程度しか送り出せていない状態。

最悪だった、またなるかも知れない。
そう思った。その日から自分の心臓を
監視するようになっていった。

「あっ今、心臓が変な動きしたぞ」そんなふうにだ。
家族の前では平穏を装っていたが、心では泣いていた、つらかった・・・。

「心まで病まさない、先人の知恵」

そんなとき、普段、本なんて読まないのに、
何か生きるヒントがあるかもと読んでみようかなと思った。

そこで小林正観さん、斎藤一人さん、中村天風さん
と本を読み漁った。

中村天風さんが言っていた

「病になっても、心まで病ますまい!」
「病は医者に任せればいい!」

その言葉にどれだけ救われたか。

その日から病は医者に任せればいい、
明るく生きようと決めた。

本はいいものだ、丸ごと自分の叡智に変えられる、
先人とお友達になる感覚だ。

「塞ぎ込むのはもうやめだ!」

それから息子をベビーカーに乗せて散歩したり、
妻とスーパーに買い物に行ったりと
自分なりのリハビリを始めた。

そしてその年の秋、会社に出向き職場復帰を果たした。
CRT-D(両室ペーシング機能付き植込み型除細動器)を植え込んでいるため、妻の車での送り迎え、

最初は1日おき半日出勤、毎日半日、
1日おきフルタイムそしてフルタイムと
出勤頻度を伸ばしていった。

「おかえりの横断幕と千羽鶴」

自分が苦しい時、周りの助けが入ることがわかった、
退院後に初めて出社した日は「あーきさん、おかえり」
って言う横断幕を作って出社を祝ってくれた。

嬉しかった、正直、人前だが涙が出た。
俺が寝ている時、千羽鶴を折ってくれた会社の仲間。

退職した今ではかけがえのない思い出です。

結局、なんとかなる。
難病を克服するためのマインドセット、
いいタイミングでいいことが起きる。

足掻いてみるもんだ、自分の場所が整ってくる。
自分がやりたいように整ってくる。
こうなると人生たのしくなってくる。

いま、身動きが取れずに頑張っている人、
立ち止まってどうすればいいかわからない人、
恐怖に打ちひしがれている人。

どうか足掻いてください、ちょっとでも
良くなる方に考えてください。
そして動いてみてください。
できるだけでいい。

きっと良い方向へ歩いて行けるようになるから。

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