補助人工心臓(VAD)を装着して過ごした6年半、日数にして約2300日。この時間は、私にとって「命を繋ぐための戦い」そのものでした。心臓移植を待機しながらの生活は、常に機械のリズムと共にありました。

命を預ける「24時間の緊張感」

VAD装着者にとって、最も神経を使うのが電源の管理です。

朝、目が覚めるとパワーモジュールからバッテリーへ切り替える。この数秒の作業が、一日の始まりを告げる「命の儀式」でした。

外出中も常に左腰にはコントローラーと予備バッテリーが入った、もう一つの重いバッグ。

バッテリー残量を知らせるアラームの音。常に「もしも」を想定し、24時間、完全に介助者がつく生活、一瞬たりとも緊張が解けることはありませんでした。

「病人」ではなく「社員」として生きる

それでも私は、地元の中小企業で仕事を続けました。

重いデバイスを抱えながら働くことは容易ではありませんでしたが、仕事は私にとって社会と繋がる唯一のパイプでした。

バッテリーを肩にかけデスクに向かう日々は、病気に人生を奪われないための自分なりの「意地」だったのかもしれません。

機械の音が消えた今、思うこと

現在、私の体から機械の駆動音は消えました。

移植を経て、自分自身の鼓動だけで歩けることの軽やかさは、言葉では言い表せません。

今、同じようにVADを装着して移植を待っている方、そしてそのご家族へ。

その重みも、機械の音も、あなたが今日まで必死に生き抜いてきた証です。

私の経験が、少しでも誰かの希望になれば幸いです。

By wwbnq181

50代。25年間、地元の企業で働き抜きました。 私の人生の後半戦は、想像を絶する病との戦いでもありました。 原因不明の難病「巨細胞性心筋炎」の発症。 不整脈を抑えるCRT-Dの植込み。 そして、心臓移植を待機する6年半(2300日)、補助人工心臓(VAD)と共に生きる日々。 その間、脳梗塞や小腸穿孔といった合併症にも襲われ、何度も命の瀬戸際を歩きました。 しかし、そこには常に私を支えてくれた妻と息子の存在があり、 私のために緊急時講習を受けてまで居場所を守ってくれた9人の同僚たちがいました。 心臓移植という奇跡に恵まれ、今、私の胸には新しい鼓動が刻まれています。 「頂いた命と共に、二人分の人生を最高にしたい」 そんな想いから、25年勤めた会社を卒業し、第2の人生を歩み始めました。 趣味は、一人の足音を感じながら歩く二時間の散歩。 このブログでは、闘病の記録、家族への想い、そして何気ない日常の尊さを綴ります。 私の経験が、今を懸命に生きる誰かの力になれば幸いです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA