補助人工心臓(VAD)と共に歩んだ2300日。それは、常に「死」を意識しながらも「生」に執着し続けた日々でした。 毎朝繰り返される「命の切り替え」 VAD装着者にとって、朝のルーティンは単なる準備ではありません。家庭用コンセント(パワーモジュール)から外出用バッテリーへと電源を切り替える瞬間。もし接続をミスすれば、私の命の灯火は消えてしまうかもしれない。 そんな緊張感の中で行う毎朝の「命のスイッチ」の切り替えは、2300日間、一瞬たりとも気が休まることはありませんでした。 常に意識の半分は「左腰」にあった 外出中も、私の意識の半分は常に左腰にありました。そこには命を司るコントローラーと重いバッテリーが入ったバッグがあるからです。 「人混みでぶつからないか」「コードが引っかからないか」「バッテリー残量は十分か」。 お風呂も、睡眠も、移動も、すべてがこの機械のリズムに支配されていました。自由が制限されたその不自由さは、経験した者にしかわからない深い重みがありました。 自由という名の「静寂」 移植を経て機械が外れた今、私は左腰に何も持たずに家を出ます。コードに縛られない、バッテリーを気にしない。 かつての私が見れば夢のようなこの「静かな自由」を、私は今、一歩一歩踏みしめるように楽しんでいます。 投稿ナビゲーション VAD(補助人工心臓)と過ごした2300日|仕事と生活のリアル