不整脈が日常となり、左胸にCRT-Dを植え込んだあの日。電気ショックの衝撃に耐えながら、自分が「生と死の境目」にいることを思い知らされる。看護師には見せたくなかった、枕を濡らす涙。命を繋ぐ装置と共に生きる、綺麗事だけではない闘病のリアル。夜が明けるのをただ待ち続けた、あの日の恐怖を綴ります。孤独な夜: 暗い病室で眠れずに過ごすあなたの孤独と、暗闇への恐怖を寒色系のライティングで表現します。

2、3日ほど、何事もなく過ぎていました。
「このまま落ち着くのかもしれない」
そう思える時間が、少しだけ戻ってきていました。

ある日、トイレに行きたくなり、ナースコールを押しました。
看護師さんに車椅子で連れて行ってもらい、無事に用を済ませました。

そして立ち上がり、車椅子に戻ろうとしたその瞬間でした。

突然、胸が大きく跳ねるような感覚。
同時に、意識が遠のいていきました。

「まただ……」

看護師さんに胸を叩かれながら、私は病室へ戻されました。

怖かった。
ただただ、怖かった。

「もういい加減にしてくれ……」

その言葉が、心の中で何度も繰り返されました。


絶望の一日

その日は、病室の窓から外をぼんやり眺めていました。

「もういい加減にしてくれ」

そう強く思いながら、何も考えられずに時間だけが過ぎていきました。

仕事復帰なんて、とても無理だ。
普通の生活に戻れる気がしない。

その現実が、重くのしかかりました。

絶望でした。


不整脈が日常になる

その後、不整脈はさらに頻繁に起こるようになりました。

主治医から告げられました。

「CRT-Dを入れましょう。」

命を守るための装置。
それしか方法はありませんでした。

手術の日を待つ間、夜が来るのが怖くなりました。

眠ると不整脈が起きる。
そんな気がして、目を閉じるのが怖かったのです。

眠れない夜が続きました。
枕を涙で濡らすこともありました。

でも、看護師さんには見られたくなくて、
そっと隠していました。


手術、そして終わらない恐怖

手術が終わり、左胸にはCRT-Dが入りました。

これで安心できるはずでした。

しかし、不整脈は完全には止まりませんでした。
心電図モニターのアラーム音が、昼も夜も鳴り続けます。

短い不整脈は、何度も出ました。

「これが止まらなくなったら、致死性の不整脈になるんだ…」

そんなことばかり考えていました。

眠れずにいると、また不整脈が起きました。

恐怖しかありません。

すると、CRT-Dが作動しました。
電気ショックで不整脈を止めてくれたのです。

命を守ってくれるはずのその装置は、
同時に、激しい痛みを伴いました。

胸の奥を、強く殴られたような衝撃。

「うっ……!」

声も出ません。

そのたびに、ナースが走って私のところへ来ました。

「今、作動しましたね。」

その言葉を聞くたび、
自分が“生と死の境目”にいることを思い知らされました。


忘れられない恐怖

このDC(電気ショック)の恐怖は、
今でも忘れることができません。

助けてくれるはずの装置が、
同時に恐怖の象徴になっていました。

夜が怖い。
眠るのが怖い。
心臓が動いているかどうかを、
常に気にしながら生きる日々。

これが、私の新しい日常になってしまったのです。

By wwbnq181

50代。25年間、地元の企業で働き抜きました。 私の人生の後半戦は、想像を絶する病との戦いでもありました。 原因不明の難病「巨細胞性心筋炎」の発症。 不整脈を抑えるCRT-Dの植込み。 そして、心臓移植を待機する6年半(2300日)、補助人工心臓(VAD)と共に生きる日々。 その間、脳梗塞や小腸穿孔といった合併症にも襲われ、何度も命の瀬戸際を歩きました。 しかし、そこには常に私を支えてくれた妻と息子の存在があり、 私のために緊急時講習を受けてまで居場所を守ってくれた9人の同僚たちがいました。 心臓移植という奇跡に恵まれ、今、私の胸には新しい鼓動が刻まれています。 「頂いた命と共に、二人分の人生を最高にしたい」 そんな想いから、25年勤めた会社を卒業し、第2の人生を歩み始めました。 趣味は、一人の足音を感じながら歩く二時間の散歩。 このブログでは、闘病の記録、家族への想い、そして何気ない日常の尊さを綴ります。 私の経験が、今を懸命に生きる誰かの力になれば幸いです。

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